日本の音楽界において、昭和時代のジャズシンガーとして名を馳せた笠置シヅ子さん。彼女の生涯や家族、そして彼女を取り巻く数々のエピソードは、多くの人々に感動を与え続けています。今回は、笠置シヅ子さんの家族に焦点を当て、彼女の娘や孫、そして彼女の愛した夫・吉本穎右さんとの馴れ初めについて詳しく探ってみました!
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目次
笠置シヅ子のプロフィール
朝ドラは笠置シヅ子の話ですよ〜♪ #らんち834 pic.twitter.com/NnUxCAZACD
— みやっち( ) (@conjuntoespacio) October 17, 2023
2023年10月から放送のNHK朝ドラ「ブギウギ」のモデルとして再び注目を浴びる笠置シヅ子さん。
笠置シヅ子(かさぎ しづこ)さんは、昭和時代のジャズシンガーとしてその名は広く知られていましたが、新世代にはあまり知られていないかもしれませんね。
本名は「亀井静子」。
笠置シヅ子さんは、1914年8月25日に香川県大川郡相生村(現:東かがわ市)で生まれ、1985年3月30日に、卵巣癌のため立正佼成会佼成病院で亡くなりました。
70歳でした。
私の母がよく口づさんでいた「東京ブギウギ」の歌声が今でも耳に残っています。
笠置シヅ子の夫は誰?
【吉本せいの息子「吉本穎右エピがきた!」】 #ザ・偉人伝 #笠置シヅ子 #東京ブギウギ #わろてんか #成田凌/隼也 https://t.co/jstVn2CTCl pic.twitter.com/ycRkXTBvqp
— わび@さび (@think_literacy) May 31, 2020
笠置シヅ子さんには娘さんが一人いますが、正式にご結婚はされていませんでした。
生涯「シングルマザー」を貫き通したことでも知られています。
その事実婚のお相手の名前は「吉本穎右(よしもと えいすけ)さん。
彼は吉本興業の創業者・吉本せいさんの息子さんで、吉本せいさん自身もNHK連続テレビ小説『わろてんか』で、ヒロイン(藤岡てん)のモデルとなった人物です。
『わろてんか』をご覧になられた方はご存知かもしれませんが、吉本せいさんもまた、ご苦労され寄席経営から芸人プロダクションである『吉本興行部』を立ちあげた人物です。
そんな吉本せいさんは、息子・吉本穎右さんを吉本の後継者にさせることを熱望していたので、笠置シヅ子さんとの関係を最初は認めなかったそうです。
吉本穎右さんは次男でしたが、早稲田大学で帝王学を学んでいたので、ご本人も吉本興業の後継者となるつもりでいたのだと思います。
吉本穎右さんは笠置シヅ子さんより7歳年下で「非常に心の優しい、フェミニスト」と笠置志津子さんが自伝で形容しているように、穎右さんは女性の立場や考えを尊重する性格の持ち主だったようですね。
吉本穎右さんは、母親のせいさんの反対を押し切り、笠置シヅ子さんとの生活を選びました。
しかし、残念なことに穎右さんは持病の結核が悪化して、1947年(昭和22年)5月に、23歳という若さで亡くなってしまいます。
当初、二人の結婚を許さなかった吉本せいさんですが、息子が亡くなった後、笠置シヅ子さんと孫を受け入れることを申し出ました。
実は、吉本せいさんも1924年、34歳の時に夫・吉兵衛さんと死別されているのです。
吉本せいさんには穎右さんの他に、7人のお子さんがいるので、シングルマザーとして子供を育てる厳しさを一番よく分かっていたに違いありません。
なので、残された孫の心配はもちろん、笠置シヅ子さんのことも思っての申し出だったのかもしれませんね。
しかし、笠置シヅ子さんは吉本せいさんのこの申し出を断っています。
吉本穎右さんとの結婚を前提に芸能界を引退を考えていましたが、彼の死後、シングルマザーとして芸能界へ復帰しシングルマザーとして一人娘を育てる決意をしたのです。
そして「東京ブギウギ」をレコーディングし、大ヒットを記録しました。
笠置シヅ子と夫、吉本穎右との馴れ初め
笠置シヅ子さんは穎右さんと死別したのち、生涯独身を貫いています。
穎右さんを生涯愛し続けたことは、お子さんの証言からも分かりますね。
そんなお二人の馴れ初めが気になるので、まずはどんな始まりだったのか調べてみました。
運命的な出会いは、1943年6月のこと。
笠置シヅ子さんは名古屋御園座での公演を行っていた際に、観客席にいた大学生・吉本穎右さんと出会いました。
穎右さんは、笠置シヅ子さんの魅力、特にシヅ子さんの歌声に心を奪われたようです。
公演が終わった後(おそらく彼は勇気を振り絞り)笠置シヅ子さんに接触します。
その際、彼は自身の名刺を笠置シヅ子さんに手渡しています。
娘さんの証言によると、笠置シヅ子さんはその名刺を肩身離さず生涯大切に持ち続けていたそうです。
笠置シヅ子さんにとっても、穎右さんとの出会いは衝撃的な出来事だったに違いありません。
後年、シヅ子さんはこの瞬間を「運命的な出会い」として回想し、その馴れ初めを語っています。
笠置シヅ子の子供の現在は?
上述したように、笠置シヅ子さんと内縁の夫・吉本穎右さんとの間には女の子が生まれています。
名前は、亀井エイ子さんといい、穎右(えいすけ)さんの名前が由来しています。
ただ、エイ子さんが生まれたのは、吉本穎右さんが亡くなってから数日後のことでした。
亡くなった吉本穎右さんは、もちろん心残りだったでしょうが、この時の笠置シヅ子さんの心中はいかばかりだった事でしょう、、、。
亀井えい子さんは、1947年(昭和22年)6月1日生まれ、2023年現在は76歳 です。
えい子さんは芸能活動をされておらず、一般人として生活されていますので、私生活の詳細や画像などはありません。
ただ、2021年に一度だけメディアに出たことがあります。
目元が笠置シヅ子さんにそっくりなんです!
「ブギウギ」の放送で笠置シヅ子さんが注目されているので、今後、エイ子さんのメディア出演があるかもしれませんね。
エイ子さんを狙った脅迫事件の衝撃
笠置シヅ子さんには脅迫を受けた過去があります。
昭和22年、笠置シヅ子さんのヒット曲「東京ブギウギ」は大ヒットし、この曲のおかげで、シヅ子さんの名前は瞬く間に全国に広まりました。
彼女はその後もさまざまなメディアに出演し活躍を続け、シングルマザーとしての困難を乗り越え、一生懸命に歌手活動を続ける彼女の姿は多くの人々に感動を与えていたそうです。
しかし、1954年、笠置シヅ子さんのもとに突如として一通の手紙が届いたのです。
その内容は、娘・亀井エイ子さんへの殺害予告でした。
「天神橋下に6万円をおけ。さもないと一人娘を・・・。」
という言葉に、笠置シヅ子さんはどんなに深い恐怖を感じたことでしょう。
犯人からは、合計で9回もの脅迫の手紙が届けられたと言われています。
当時のサラリーマンの平均給料がおよそ1万円だったことを考えると、6万円という金額は非常に大金ですよね。
この脅迫事件について、彼女は「母親の一番の弱みを突かれた」と語っています。
その当時の心の痛みは計り知れませんね。
笠置シヅ子さんは、娘・エイ子さんを守るため、警察に事件を通報し、身代金の受け渡しの現場で犯人を逮捕することに成功しました。
しかし、この事件の影響は深く、以後、シヅ子さんは娘・エイ子さんをメディアの目から遠ざける決断を下しました。
エイ子さん自身も、この事件については知らされていなかったと言われています。
この事件は、笠置シヅ子さんの人生において大きな転機となり、彼女はこの困難な経験を乗り越え、娘を守るためにさらに強い母としての決意を新たにしたと言われています。
笠置シヅ子の孫はいる?
笠置シヅ子さんのお孫さんについても調査しましたが、残念ながら情報は見つけられませんでした。
上述したように、娘のエイ子さんは一般人なので私生活についての詳細もわかりません。
もし、お孫さんがいたとしても過去の脅迫事件の経験から、公表することはなかったに違いありませんね。
ただ、ネット上で「笠置シヅ子 孫」と検索されることが多いのは、亀井エイ子さんが吉本せいさんのお孫さんだからではないかと想像します。
NHK朝ドラ「ブギウギ」の放送を機に新たな情報が出るかもしれませんので、わかりましたらお知らせします!
まとめ
【笠置シヅ子の娘や孫の現在は?夫は吉本興業の御曹司で馴れ初めは衝撃的な一目惚れ!】をまとめました。
笠置シヅ子さんは、その才能と魅力で多くの人々の心をつかみましたが、彼女の私生活には数々の波乱がありました。
特に、吉本穎右さんとの運命的な出会いや、その後の生涯独身を貫く決意、そして娘・エイ子さんを中心とした脅迫事件は、彼女の人生において大きな転機となったと推測します。
今回の探訪を通じて、笠置シヅ子さんの人としての魅力や、彼女を取り巻く家族の絆の深さを再確認することができました。
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