NHK「エール」のモデルである音楽家・古関裕而さんの国際的コンクールの入選履歴を得た曲「竹取物語」はどんな曲だったのか聴きたいですね!!また、イギリス留学しなかった理由や代表曲の人気や校歌も!
目次
古関裕而の竹取物語はどんな曲?
NHK朝ドラ「エール」のモデルである音楽家・古関裕而さんの作曲した楽曲は現在でも私たちの心に響きます。
そして多くの人々に愛されていますね。
ドラマ「エール」の中でも描かれていましたが、古関裕而さんは1929年(昭和4年)チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選し、日本人として初めて最年少で国際的コンクールの入選履歴を得た作曲家です。
ここでまず驚くのが、古関裕而さんはほぼ独学で音楽を学んでいた事。
楽譜の読み方からスコアの書き方までほとんど独学なんて信じられません!
現在はピアノや楽器が無くてもパソコンがあればいろいろな音色が表現できるし、音符を書くのも知識があれば出来ます。
しかし、古関裕而さんが作曲されていたのは大正~昭和初期です。
PCなど無い時代ですから五線譜に鉛筆で一音ずつ紡いでいくしかありません。
音楽好きの父親の影響で音楽が身近だったとはいえ、頭に描く音楽を譜面に起こす作業や作曲を独学で出来る人は現代でもそうそういないのではないでしょうか?
ましてやクラシック音楽です。
クラシックと言えばベートーヴェンやショパン、チャイコフスキーなどなど思い浮かべる方も多いでしょう。
管楽器・弦楽器・打楽器などなど多くの楽器があるわけです。
それを頭の中だけで作曲できるって、どんなことが頭の中で起こっているのか!?
音楽を聴くことしかできない私には想像もできません。
さて、そんな古関裕而さんが作曲され国際的コンクールで入賞した楽曲「竹取物語」とはどんな曲なのでしょう?
ものすごく気になります!!
結果から言うと古関裕而さん作曲の「竹取物語」を聴くことはできません。
なぜなら楽譜が紛失してしまいどんな曲なのか分からないのです。
さらに残念なことに「竹取物語」だけでなく古関裕而さんの作曲した複数の交響曲やピアノ協奏曲、交響詩『ダイナミック・モーター』、弦楽四重奏曲など膨大な作品それらの楽譜は現在ほとんど行方不明になっています。
「竹取物語」について分かっているのは
・『竹取物語』は、色彩的で斬新なオーケストレーションがなされており、また打楽器のみで演奏される楽章なども含まれていた
・師事した菅原明朗さんが『竹取物語』のスコアを読んで驚き「古関には深井史郎よりも才能があったと」後年まで称賛している
という事くらいでしょうか。
いや~、こうなると尚更聴きたいですね!!
古関裕而さんが影響を受けたのは「近代フランス、ロシアの音楽」。
リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』とストラヴィンスキーの『火の鳥』、ドビュッシー、ムソルグスキーなどに傾倒したとあります。
おそらく、その旋律で情景が描けるような重厚で華やかなものではないかと想像します。
楽譜の多くが紛失しているのはやはり戦争の影響なのでしょうか?
残念です。
古関裕而が留学しなかった理由は?
古関裕而さんが入選した1929年(昭和4年)作曲コンクールでは副賞として留学ができるものでした。
朝ドラ「エール」でも裕一が国際的作曲コンクールに応募した「 竹取物語」が入賞し、イギリス留学の費用を出してもらえることになりましたね。
しかし、古関裕而さんは留学はされていません。
その理由は1929年10月24日に起きた「暗黒の木曜日」世界恐慌が理由と言われています。
ドラマ「エール」のネタばれでも、イギリスへの留学も景気の悪化を理由に先方からキャンセルされてしまいます。
この他にも「受賞そのものの翻訳が間違いだった」という説もあります。
しかし、コンクールに出場して通知が来たならば、何らかの受賞があったのは間違いないと私は思います。
現在でも当選者には通知が来ても落選通知は来ないこともあるほどですから。
当時の郵便事情などを考えると入賞したのは間違いないと思うのですけどね、、、。
その他に、商業学校在学中に家業の呉服店が倒産し生活を支えなければならなかったのも理由のひとつではないでしょうか。
古関裕而さんはもともとクラシック志望だったのですが、生活のためにコロンビアレコード会社に入り、さまざまな種類の曲を書いたそうです。
どの世界もそうですが基礎がちゃんとある方は、応用が素晴らしいです。
クラシックバレエからダンサー、クラシックピアノからジャズピアノなど路線を変えても成功する方が多いですよね。
古関裕而の代表作品
現在でも古関裕而さん作曲の曲は私たちの生活に深く根差しており、今聴いても色あせない旋律のものばかりです。
多くの作曲作品が紛失していますが残された曲も数多くあり、いったいどのくらいの曲を生み出したのかと思うほど。
また、手掛けたジャンルの幅広いことにも驚きです!
スポーツ界・学校の校歌・応援歌・歌謡曲・映画・舞台・ラジオ・テレビドラマ・アニメーションの主題歌や劇中音楽、さらには軍歌、交響曲と和製スーザと言われたほどです。
5,000曲にも上るそうですよ~。
ちなみにスーザはアメリカの作曲家&指揮者です。
日本の運動会などでもよく流れるあの「星条旗よ永遠なれ」の作曲者ですね。
ひとことで「代表作」があげられない程「長崎の鐘」や「イヨマンテの夜」「白鳥の歌」「君の名は」など数多い名曲があります。
そんな、古関裕而さん作曲の応援歌も多いのですが、中でもこちらは野球ファンには馴染み深い曲ばかりでしょう。
- 1936年「大阪タイガースの歌(六甲颪)」
- 1939年「巨人軍の歌(野球の王者)」
- 1963年「巨人軍の歌(闘魂こめて)」
- 1977年「ドカベン」挿入歌「ああ甲子園」
- 1959年「鉄腕投手 稲尾物語」
- 1949年 NHKスポーツ中継テーマ曲「スポーツショー行進曲」
また、百貨店などの閉店時に流れる曲も古関裕而さん編曲のもの。
あの曲を「蛍の光」だとお思いの方も多いようですが、実はあれはスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」を古関裕而さんが編曲した『別れのワルツ』という曲なのです。
蛍の光は4拍子で「別れのワルツ」は3拍子です。
同じ曲を原曲としているので似ていますが、二つは別の曲になりますね。
この他、哀愁「モスラ~やっ、モスラ~」で有名な1961年「モスラ」(映画)の挿入歌「モスラの歌」もそうです。
当時レコードとして発売されることはなく、ザ・ピーナッツ解散後の1978年になって、ようやくシングル発売されました。
言語はインドネシア語で歌詞にはちゃんと意味があり、近年、中川翔子さんと平野綾さんがカバーしています。
2019年、日本コロムビアから生誕110年記念として3種類のアルバムが発売され、2020年4月にはノンジャンルでよりすぐりの名曲を集めた「あなたが選んだ古関メロディーベスト30」がリリースされています↓。
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NHK朝ドラ「エール」が放送されると売り上げが急増しているそうです!
意外にも身近なメロディが古関裕而さんの作曲だと知って驚きました。
古関裕而のこの曲が好き!
NETでは「この曲が好き」という話題で盛り上がっています。
まさに古関裕而でなければ書けない曲。トロンボーン奏者が泣いて喜ぶのがこの曲だ。真っ青な空の下、赤と白の制服で世界各国の最後に入場して来た日本選手団の鮮やかさは未だに目に焼き付いている。https://t.co/osk4pdeTIU
— Tsutomu KANEKO, PhD (@T_Kaneko_PhD) May 3, 2020
いま連続テレビ小説の「エール」で、主人公モデルとなった古関裕而さん。中央大学の応援歌も作曲なさっていたとは知りませんでした。
同じ古関裕而の作曲なので、イントロが「六甲おろし」と似ている。
高原列車は行く(岡本敦郎) https://t.co/sDcxfkEs5g— 工藤索太郎 (@kudosakutaro) May 3, 2020
長崎の鐘、スケール大きい昭和の名曲。これも子供の頃懐メロとして出会ったけど、良いものは良い。藤山さんの端正な歌唱も素晴らしいし、安田由紀姉妹のライブも心洗われる。
— みしゃりん (@misha321321) May 3, 2020
伊藤久男『イヨマンテの夜』
二葉あき子『フランチェスカの鐘』
岡本敦郎『高原列車は行く』からの、
渡辺はま子(御不在)『愛国の花』
藤山一郎『長崎の鐘』鳥肌立った。
ドンガバチョはカットされた模様。 pic.twitter.com/K8BQcwVy8I— 近鉄ヤヲ (@kintetsu_yao11) May 3, 2020
「長崎の鐘」は歌謡曲ではなく「鎮魂歌」だという感想もありました。
古関裕而作曲の校歌
古関裕而さんは学校の校歌も多く作曲されています。
古関裕而さんの息子さん古関正裕さんは「父は、福島の方々に大切にしていただきましたし、また父は、福島をどこよりも愛していました」と語られています。
- 中央大学応援歌「ああ中央の若き日に」(中央大学学友会選定歌詞)
- 日本大学水上応援歌「水の覇者日大」
- 日大松戸歯学部学生歌
- 福島県立福島商業高等学校校歌
- 静岡学園高等学校校歌
- 二本松市立二本松第三中学校校歌
- 青森山田学園学園歌「意気と熱(まこと)に」
- さいたま市立東浦和中学校校歌
- 八潮市立八潮中学校校歌
- 香川県立善通寺第一高等学校校歌
- 千葉県立国府台高等学校校歌
- 大多喜町立大多喜小学校校歌
- 京都市立加茂川中学校校歌
- 京都市立紫竹小学校校歌
- 愛知啓成高等学校校歌
- 府中市立府中学園校歌
- 阿見町立朝日中学校校歌
- 小牧市立小木小学校校歌
- 藤沢市立藤沢小学校校歌
- 北九州市立熊西小学校校歌
- 東京都世田谷区立経堂小学校校歌
- 町田市立町田第一小学校校歌
- 愛知県西尾市立吉良中学校校歌
- 静岡市立安東中学校校歌
- 茨城県立取手第二高等学校校歌
- 東福岡高等学校校歌
古関裕而のプロフィール
古関裕而さんのプロフィールをどうぞ。
名前:古関裕而(こせき・ゆうじ)
生年月日:1909年8月11日
没年月日:1989年8月18日(80歳没)・神奈川県川崎市にある聖マリアンナ医科大学病院で亡くなりました。
出生地:福島県福島市
古関金子(こせき・きんこ)
古関裕而さんの奥様は金子(きんこ)さんと言います。
朝ドラ「エール」では二階堂ふみさんが演じているように、金子さんは幼い頃からお転婆でオペラ歌手を目指していました。
その持ち前の行動力で「古関裕而の国際作曲コンクール入賞」の記事に触発されファンレターを書いたのが、おふたりの馴初めです。
私の青春時代もSNSはありませんでした。
当時は雑誌の後ろに「文通相手求める」なんていうものがあり、いろいろな方と文通した思い出があります。
私の友人には「文通」からご結婚に至った方もいます!
「遠距離恋愛」という言葉も消滅すると思われる今日ですが、文通もまたよい時代でしたね。
まとめ
【古関裕而|竹取物語はどんな曲?留学しなかった理由と代表曲や校歌の一覧も!】をまとめました。
「そのにゅーすって、ほんと!?」でした。