長野県上田市にある「無言館」の設立者・窪島誠一郎さんの経歴プロフィールをまとめました!実の父親である作家の水上勉さんとの再会や、実母との関係はどんなドラマよりドラマチックなものでした。
窪島誠一郎のプロフィール
2022年8月27日(土)に放送される日本テレビ「24時間テレビ45」のスペシャルドラマは、窪島誠一郎さんのヒューマンドラマです!
実際の窪島誠一郎さんの画像はこちら。
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日時:平成30年7月8日(日)13時30分から
〈詳細〉https://t.co/gaBvOoAm8M pic.twitter.com/chXiFNEdO3— 長野県安曇野市 (@Azumino_city) May 23, 2018
窪島誠一郎さんは、ドラマのタイトルにもなっている長野県上田市にある「無言館」を設立した人物です。
無言館が開館して25年が経ち今年81歳を迎えた窪島さんですが、今でも館主として作品を預かったり修復したりと、現在進行形で無言館のお仕事は続いているそうです。
私は無言館を訪れたこともあり、過去に窪島誠一郎さんの父親や母親に関する記事を読んだ記憶もあります。
今回は、その窪島誠一郎さんの経歴やプロフィールについてのお話しです。
名前 | 窪島誠一郎(くぼしま せいいちろう) |
生年月日 | 1941年11月20日 |
出身地 | 東京都 |
出身高校 | 海城高等学校 |
身長 | 不明 |
体重 | 不明 |
窪島誠一郎の経歴
窪島誠一郎さんは1941年11月20日、太平洋戦争開戦の年に東京で生まれました。
戦後、海城高等学校を卒業された窪島誠一郎さんは、深夜喫茶のボーイやホテルの従業員、店員、珠算学校の手伝いなどをしながらお金を貯めて、21歳の時にスナックを始めます。
その後、店の支店を出したり1964年に小劇場キッド・アイラック・アート・ホールを設立するなどしています。
それと同時に美術館の設立や本の出版など、マルチな才能を発揮されています。
- 1964年:小劇場キッド・アイラック・アート・ホールを設立
- 1979年:信濃デッサン館(現在のKAITA EPITAPH 残照館)設立
- 1997年:無言館を設立
- 1998年:『「無言間」ものがたり』で第46回サンケイ児童出版文化賞受賞。
他多数の書籍や小説を出版されています。
参照元:TOKYO ART BEAT
「無言館」に関する書物も多く出版されているので、気になる方は読んでみてくださいね。
窪島誠一郎の父親は水上勉
窪島誠一郎さんの実の父親は作家の水上勉さんです。
水上勉さんはご存知の通り、数々の受賞歴がある日本を代表する作家です。
【水上勉の受賞歴】
1960年『海の牙』探偵作家クラブ賞
1961年『雁の寺』直木賞
1971年『宇野浩二伝』菊池寛賞
1975年『一休』谷崎賞
1977年『寺泊』川端賞
1983年『良寛』毎日芸術賞
そんな水上勉さんは、まだ幼少だった窪島誠一郎さんを養子に出しています。
窪島誠一郎さんが2歳の時、水上さん夫婦の仲が破綻してしまい、戦争や経済的事情から明大前で靴の修理屋を営んでいた窪島家に養子に出しました。
当時、父親の水上勉さんは息子の養子先を知らされていなかったそうです。
また、明大前付近は昭和20年4月の空襲で焼け野原になったこともあり、水上勉さんは誠一郎氏は亡くなったものだと思っていたそうです。
一方、誠一郎氏は13、14歳の頃に顔貌が違う両親に疑問を抱き、血液型などにより養父母が実の両親で無いことを確信しました。
それから20余年にわたって実の父親を探し、1977年6月についに父親の水上勉さんにたどり着きました。
驚いたことに、それまで窪島誠一郎さんは作家・水上勉さんが実の父親だとは知らなかったにも関わらず、水上作品の熱心な愛読者だったそうです。
水上力さんの代表作「飢餓海峡」に出てくる北海道の雷電岬へ実際に行ったり、作った詩集に「雷電」と名付けたほど。
それだけでなく、窪島誠一郎さんが結婚した相手の女性は雷電海岸の出身だというから驚きですね。
さらに驚いたのは、窪島誠一郎さんと水上勉さんはお互いに父子と知らないまま、歩いて5分とかからない同じ町内に住んでいたというのです。
こんなことってあるんですね。
(水上勉さんは2004年9月8日に肺炎の為、長野県東御市で亡くなられています。享年85歳でした)
窪島誠一郎の実母は誰?
窪島誠一郎さんの実の母親は加瀬益子さんと言います。
益子さんは水上勉氏と別れたのちに、再婚されたようですね。
窪島誠一郎さんのエッセイによると、戦後30年が経った昭和52年に実の母親と再会されたと言います。
そんな母親は窪島誠一郎さんに謝ってばかりだったとか。
母親と一度ホテルで食事をされたことがありますが、その後は「会いたい」と言ってくる手紙にも返事を一度も出さなかったそうです。
そして平成11年6月末に益子さんは自分で命を絶ってしまいました。
享年81歳。
亡くなる前に益子さんは窪島さん宛に落花生を贈ってきていたそうです。
落花生は益子さんの故郷・千葉県の名産で、毎年秋になると窪島さん宛にいつも贈られてきたものなのだとか。
最初は母親は心臓発作で亡くなったと聞いていた窪島さんですが、本当の死因を知った晩に亡くなる前に送られた落花生を思い出し、袋を開けました。
窪島さんは、その”母の落花生”に、涙が止まらなかったそうです。
参照元:小さな驚きの記録
窪島誠一郎さんは両親や育ての母との関係を壮絶な「母ふたり」という本に著しています。壮絶なドキュメント作品であり家族物語ですので、是非読んでみてください。
【「母ふたり」のストーリー】
ある日始まった実の父母を捜す執念の旅。自分を捨てた父・水上勉と奇妙なバランスで成立した親子関係の一方、決して許すことを選ばなかった二人の母の生涯を辿る、壮絶な家族物語
窪島誠一郎の結婚相手は誰?
窪島誠一郎さんの結婚されたお嫁さんについての情報はあまりありません。
上述したように「北海道 雷電海岸のご出身」という事くらいです。
窪島誠一郎さんの詩集「雷電」に感銘したファンの方とか、、、そんな素敵な出会いだったのかも。(私の空想です)
24時間テレビ ドラマ「無言館」のストーリーの中で、窪島誠一郎さんの奥さんに関する情報が分かるかもしれませんね。
奥様について詳細が分かりましたら追記します。
まとめ
【窪島誠一郎の経歴は?父親の水上勉との再会や実母との関係はドラマより凄かった!】をまとめました。
窪島誠一郎さんの人生は戦争により大きく変わってしまったのだと思います。
実の両親との関係はもちろん「無言館」の設立もそうですね。
現在でも「無言館」の館長として精力的に全国を飛び回り、数多くの著書を出版されています。
ドラマ以上にドラマチックな窪島誠一郎さんの人生をご紹介しました。